20世紀の偉大な哲学者バートランド・ラッセル。ラッセルは現実に即した幸福論として「ラッセル幸福論」をかきました。人生を送る上での私のバイブル的存在です。
人間、疲れれば疲れるほど、外部への興味が薄れていく。そして外部への興味が薄れるにつれて、そうした興味から得られる息抜きがなくなり、ますます疲れることになる。
退屈の本質的要素のひとつは、現在の状況と、いやでも想像しないではいられない他のもっと快適な状況とを対比することにある。
ある種のよいものは、ある程度の短調さのあるところでなければ可能ではない。
実りある退屈から逃げることで、もうひとつの、もっと悪い種類の退屈の餌食となる。
人間、疲れれば疲れるほど、外部への興味が薄れていく。そして外部への興味が薄れるにつれて、そうした興味から得られる息抜きがなくなり、ますます疲れることになる。
狂信の本質は、望ましいことを一つか二つおぼえていて、他のことは一切忘れてしまい、この一つか二つのことを追求するにあたっては、他の種類の害がたまたま生じても大したことじゃない、と考えることである。
ある人びとがするように、不幸からみじめさの最後の一滴まで飲みほそうとするのは、単なる感傷でしかない。
不幸に見舞われたときによく耐えるためには、幸福なときに、ある程度広い興味を養っておくのが懸命である。そうすれば、現在を耐えがたくしているのとは別の連想や感情を思いつかせてくれる静かな場所が、精神のために用意されるだろう。
マンガ版もあります
このマンガはラッセルの幸福論をもとにかかれています。本の方は以前読んでいましたが、こちらはマンガなだけに読みやすく一日で読んでしまいました。日々に息苦しさを感じている人に読んでもらいたいです。
・不幸体質3タイプ
罪人 快楽を求めるのはいけないことだ
ナルシシスト いつでも自分が一番
誇大妄想狂 権力欲に取り憑かれた人たち
・バイロン風の不幸
不遇を嘆くことが知性の証しととらえている
・お金や評価のために働くと、人は自分を冷笑するようになる。しかし「つくること」それ自体に喜びを見いだせれば自分自身を好きになることができる
・声高に平等や公平を叫ぶ人たちの心の根っこにはねたみがある場合も多い。しかし幸運な人間の喜びを減らして実現される公平は世の中を豊かにはしない
・きれいごとを言う人はどこにだっている。しかし、そういう人に合わせて生きたって、彼らは君の人生に何の責任もとってくれない
・心が素直に打算なく反応するものに耳をすませる。そこに未来がある
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